2018年7月9日月曜日

リトル・ダンサーとチャットモンチー


映画「リトル・ダンサー」(原題 Billy Elliot / 監督 スティーブン・ダルドリー)を昨日、某所で見せてもらい、途中、クリスマスのシーンくらいまではもう最高。マーク・ボランの声があちこちで流れるなか、desparate な炭鉱の町で、少女たちに混じってバレエを始める少年は移動図書館で本を盗んだり、友達がオカマだったり。イカレてる? 少女のひとりとの会話もたしか(↓)こんなで。

「あなた、あたしのこと好き?」
「そんなこと、考えたこともない」
(しばらく間)
「あたしのアソコ、見たい?」
「アソコなんか見せてくれなくても、好きさ」

このオフビート感。映像も運動神経よくて、色や質感もそれこそゴダール的な? 反抗と革命についての映画! かと思いきや後半おいおい、どうしたんだというような展開。プロデューサーから絶対、何か言われたんだと思う。そして結局、平凡なただの “おとぎ話” 映画になって、逆にみんな拍手喝采……みたいな。


で、ちょうど数日前にたまたまラジオで初めて聴いた、こちらは(↓)日本のガールズ・ロックバンド、チャットモンチーの「風吹けば恋」から、

はっきり言って、おとぎ話はワナ。
期待したって、かぼちゃは、かぼちゃ。

OK、正しいと思う。演奏もじつにシャープで。そりゃ映画と10年が隔たっていたとしても、やはりこの諦念あってこそ、という気がする。それでこそ人生。途中までは「リトル・ダンサー」もたしかに、そうだったはずなのに。後半なぜか結局……大人の事情??? 監督まるで別人のよう。本当に不思議。

ウソだ、と私も反射的にシラける。その場に居合わせた皆さんにも、終わってから穏便に申し上げましたが「それでは結局、何も変わらない」と。田舎くさい権威の奴隷。音楽や芸術の本当の力、その革命的なソフト・パワーを封じ込めてしまう紋切り型=おとぎ話。拍手するかね、そこでと。いや、いいんだけど。よくある話。

前回このブログ記事にも書いた、ジャン=リュック・ゴダール+ジガ・ヴェルトフ集団 DVD-BOX をちょいちょい、興味津々に観ているせいか、どうも映画とその外部について最近ますます気になり。もちろんこれ自分の絵画や芸術論にも影響を与えているようで。だから記事化してるんだけど、いま。

ちなみに、上のチャトモンチーの歌詞はその後なんと「だけどもうダメみたいだ、なんだか近頃おかしいんだ」と続き、そこから一気に走り出す展開。「行け! 行け! あの人の隣りまで。生まれ変われる気がするんだ。風! 風! 導いておくれよ」と。もうダメだ、おかしい。イカレてる? それでこそ。エスタブリッシュメントなんかと本質的に無関係なこの、desparate な若さにこそ拍手。もちろん年齢不問。変われ、世界。


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後記:
いずれにせよ、普段から情報に疎い人間でありまして、「リトル・ダンサー」もチャットモンチーもつい先日までは、まったく知らず。いろいろ勝手なこと言いますが基本、教えてくれた人には何より感謝してます。でも、やっぱり文句も言っていい? 完ぺきな世界などありえないので、正直に、こういうようなこと引き続き。




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