2018年1月15日月曜日

情報過多時代の空間話

BOSS RC-3 ルーパー買ったのが昨年11月末で、なんとなくの『JAPAN 1974-1984』が昨年9月、たまたま今年お正月(1月3日の夜)にはラジオ番組でJAPAN特集が2時間あったり。なんで?と思いながら、自分的には完全に賞味期限切れだと思っていたデビシル、David Sylvian を、そんな偶然から聴き返すことになり。

アルバム「Secrets of the Beehive」までしかフォローしてなかったのが(それまでは熱狂的でした私、わりと)先日ふと気が向いて、その次の「Dead Bees on a Cake」購入。相変わらずだなぁと思いつつ、しかし何度か聴いているうちに気づいたことがあり。それはルーパーの話とも関係があるので、まずは、そちらから。


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「打ち込み」音楽と違いルーパーは、テープがREC状態でずっとループしているようなもので、無音のなかに音を少しずつ足していく仕組み。「打ち込み」が最初から視覚的インターフェイス(グリッドなりタイムラインなり)をもち、そこに音をヴィジュアルに置いていくのに対して、ルーパーは耳がたより。ちょっとした、もたりだとか逆にノリだとかをルーパーはそのまま記録するので、それが絵筆によるペインティングのようで本当に、むずかしくもあり、おもしろくもあり。

ギターのみならず、マイクロフォンがあれば何でも録って、音のループに加えていける。そう、だから最初つい詰め込みすぎてしまう。すぐに隙間がなくなって、狭っ苦しくなってしまい、悲惨。

しかし「打ち込み」でも、意外に本当の空間感って(リヴァーブのかかり具合なんかの話だけでなく)よほどのプロ仕事以外、気にされないんじゃないか? どうなんだろう。打ち込みゃ鳴るわけだし音。けっこう狭っ苦しい感じで結局、やってるんじゃないかと。


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で、デビシル。歌詞がわりと自然に聞こえるようになったせいもあるのか「Dead Bees on a Cake」で今回、あらためて気づいたのが、その静かさでありまして。昔からそういう人でしたが(JAPANのライブ・アルバム「Oil on Canvas」も墓場で演奏してるんじゃないかと思うくらい!)静か。もちろん音楽的なテンションとは別に。なので、なんだか広々としていて、ちょっとした音までが、おもしろく、じつによく聞こえてくる。

余計なものを入れない。本当に必要なものだけで構成する。……言うのは簡単だし実際、多くの「職人」を自称する人たちが日々、四苦八苦していることには違いない。

で、もうちょっと突っ込んだ話をすると。無ですから、本来。グリッドもタイムラインもない。無。なんにもないところに、ふと、何かが加わる。ちょっとしたその、音なり、あるいは光なり、ことばなりに、耳をすます(としか表現しようがない!)こと。いわゆる時間軸や、ユークリッド空間とは別な広がりの体験。それこそ一瞬や、砂一粒のなかにも無限をみる心のモード、とでもいうのか。

音楽って本来そんな、なんにもないところに、音を鳴らす行為であり、絵画もキャンバスのサイズなど物理的な範囲を超える、いわば無尽蔵な絵を、描く行為であったはず。そのためにも、その場所がそもそも静かであり、無である(大きささえも無い)必要がある。そんな場所/精神状態から生まれる、ものたち。高級っていうのは、俗物的なポーズや、価格の話なんかじゃなく、そういうことだろうと。


例えばこれを物理的な広さ(100 x 100 pixel)でなく
どこまでも入っていける無限空間と識ること

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どんどん騒がしく、狭っ苦しくなるばかりの情報過多時代ですが、アーティストの役割って昔も今も、基本的にやはり、ここなんじゃなかろうか。なんにもないところに、現れたなら(そして私たちが、それに耳をすますことが出来たなら)どんなものであっても輝いて見えるはず。……モロこれ、デビシルっぽい? 賞味期限切れだと思ってたのに、何はともあれ、昨年からの偶然に感謝。

アウトプットは、むちゃくちゃな殺人ノイズであっても、超お下劣であっても可、ただし、その中にあっても、静かであること。耳をすまして、この世界に向けて合掌しながら、いくぜ、とばかりに。




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