2017年8月5日土曜日

欠乏についてのメモ

机のまえにホワイトボード設置しToDoリスト書き出すようになったのが今年の3月で、何年ぶりかに手帳を買ったのが 5月。どうしちゃったんだろうと思いますな、オレ。要するにスマートフォンに決まった予定は入れられるのに、未定の「すべき」予定を書き込めないことに困り果て。本来、PDCAや効率や自己啓発云々のビジネス話、まったく興味ない(信用してない)んだけど。

ひさびさのハヤカワ・ノンフィクション文庫、S.  ムッライナタン& E. シャフィール『いつも「時間がない」あなたに……欠乏の行動経済学』を本屋でふと手に取って、そのまま数日間ハマりました。ビジネス書でなく学術書。やなタイトルですが日本版(原書はズバリ『SCARCITY 欠乏』とのこと)。何はともあれ自分の無意識に、いつもながら感謝。

へたに要約/構成すると、つまらない話になりそうだったので(ちなみに著者お二人はハーバードとプリンストンのスター研究者だそうで、「心配ごとが悪循環を生む」みたいなベタな話に短絡させてしまっちゃ元も子もなく)以下、ゴロッと抜き書きのまま。



処理能力


欠乏はそもそも、重大な心配ごとが連続発生するものである。どこにでも誰にでも起こりうる夫婦げんかとちがって、お金や時間にまつわる心配ごとは、貧しい人や忙しい人の周りに群がって、めったに消えない。(p97)

人は自分の持っているもの(時間、お金、摂取できるカロリーなど)がごくわずかしかないと考えるとき、欠乏の物理的な意味に重点を置く。遊ぶ時間が少ないとか、使えるお金が少ない、と。処理能力への負荷という問題があることからして、別の、おそらくもっと重大な不足があると考えるべきだろう。(中略)まぬけになる。衝動的になる。使える処理能力が減り、少ない流動性知能と実行制御力で、なんとかやっていかなくてはならない……生きるのはさらに大変になる。(p101)

「処理能力」という包括的用語を使って、精神機能の二つの主要な関連する要素を指すことにする。(中略)第一は一般に「認知能力」と呼ばれるもので(中略)第二は「実行制御力」(p75)/同じ人でも、欠乏に気を取られているときのほうがそうでないときよりIQが低くなる(p82)/自制心は実行制御力に大きく依存している(p84)

欠乏による負荷をかけられた頭脳は、もともと無能な頭脳と勘ちがいされやすい。(中略)まったく逆だ。誰しも貧しくなると、有効な処理能力が落ちるのだ(p101)



近視眼の功罪


欠乏も人をエキスパートにする……「荷づくり」のエキスパートだ(p140)/要するに、貧しい人は1ドルの価値のエキスパートである(p142)/彼らは1ドルを有効に活用する。お金の価値のエキスパートになる。この専門知識のおかげで、ある種の状況では彼らは合理的に見え、矛盾しない傾向になる。しかしこの局所的な専門知識は足かせにもなる。(p155)

人は重要でしかも期限がすぐ来る課題に取り組むとき、爆発的に生産性が上がる。(中略)その一方で多忙な人は “重要だが緊急でない” 課題をほったらかす(p173)


一生懸命やろうとしすぎていることに気づく(p203)/欠乏に集中しすぎること(p204)/大事だと思うとうまくいかない(p204)/無意識にやった“ほうが”うまい(p206)/ダイエットが難しいのは、まさに本人が避けようとしていることに心が集中してしまうから(p209)

スラックがほとんどなければ、失敗する余地がほとんどない。そして処理能力が低下していると失敗しやすい。(p126)



スラック


スラックはたんなる非効率ではなく、心のぜいたくでもある。豊かであれば、より多くの品物を買えるだけではない。ぞんざいに荷づくりをするぜいたく、考えなくていいぜいたく、そしてまちがいを気にしないぜいたくが許される。ヘンリー・デイヴィッド・ソローが言うように、「人の豊かさは気にしないでいられるものの数に比例する」(p130)

お金にしろ、時間にしろ、摂取できるカロリーにしろ、スラックがあれば選ばないというぜいたくができる。「両方いただくわ」と言える。ミルトン・フリードマンが理想とする「選択の自由」に反して、スラックは選択 “しない” 自由を与えてくれる。(p121)

アシスタントは「十分活用されていない」からこそ、セント・ジョンズの例の空き部屋と同様、貴重な存在だったのだ。(p263)

1980年代が無駄を削ることの効果に関する教訓だったとすれば、2000年代は近視眼的経営の危険性に関する教訓だった。この二つはおそらくつながっていただろう。無駄を削りすぎ、スラックを取り除きすぎると、残るのは今日の収支を合わせるためにつけを将来に回す経営者である。(p266)



欠乏に合わせた設計


まちがいが高くつき、失敗する可能性が高いのなら、欠乏に際して人は慎重になるのではないだろうか? 言うは易し行うは難し、である。(中略)まちがいの多くは不注意から生じるのではなく、人の精神機能に深く根ざしている。努力と注意だけでは、計画錯誤はなくならないし、頭にないことを思い出すことはできないし、あらゆる誘惑に抗う鉄の意志は身につかない。(p125)

貧しいふりをするのは至難の業である。自分で自分をくすぐることができないのと同じで、締め切りがあるふりをして、自分をごまかして一生懸命働くのは非常に難しい。(p46)

まちがわないこと、あるいは行動を改めることを要求する代わりに、コックピットを設計し直すこと(p242)

将来いつか状況がもっと楽になったときに賢明な判断を下そうと計画していても、現実には、その将来が巡ってきて再び状況が厳しければ、あなたは賢明な判断を下さないかもしれない。だから、賢く先手を打ってつなげておこう。(p301)


貯金は重要だが緊急ではない課題であり、ほとんどいつもトンネルの外に出てしまう(p287)/手術室をひとつ使わずに空けておく(p257)/欠乏に直面したとき、スラックは必要不可欠である(p264)/「衝動貯金」(p291)/心がけを必要とする行為を、できるだけ一回限りの行為(清水注:あとは、ほったらかし)に変えること(p297)




以上、たしかに、と思ったり、ホントかよ、と思ったりしながら読了。お利口だけではどうしようもない、ということを真のインテリであればあるほど痛感しているはず。なだけに、例えば「バカ」や「ヤケクソ」の可能性を、いわゆるビジネス話っぽい優等生的お利口さから、どう救済・保護しつつ、批判するか。わたし的には、やはり、再度ひとつだけ引用するなら p130の(↓)これかな。合掌。


考えなくていいぜいたく、そしてまちがいを気にしないぜいたく(中略)。ヘンリー・デイヴィッド・ソローが言うように、

「人の豊かさは気にしないでいられるものの数に比例する」





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