2014年8月5日火曜日

アウンサンスーチー

Stencil Painting の3枚目(1-C)が先週土曜日にようやく塗り上がり、初のセット完成。あとは上手くパネル化できるかどうか。で、そのモチーフについて遅まきながらもう少し勉強しておこうと、根本敬・田辺寿夫『アウンサンスーチー ——変化するビルマの現状と課題』(角川「oneテーマ21」新書)読みました。以下とりあえず、そのメモ。

アウンサンスーチーが描く将来の民主的なビルマには、国軍も含まれている。彼女はそのことを強調してやまない。(p114-115)

なんとまぁ、軍事政権によるこれまでの数々のひどい仕打ち、度重なる自宅軟禁や、1990年の総選挙(国民民主連盟 National League for Democracy 圧勝)結果の無制限の先送り(p85-86)等々、にもかかわらず。……「敵とも手を組む」といった老練な “戦略” や、もちろん、曖昧な「やさしさ」といったものなどとも調子がちょっと違い、言ってしまいますが、クール。

たとえば、もし他人が自分に対して不愉快な言動をとりはじめた場合、通常、私たちは「嫌な人だ」と感情的に反発し、その人を否定的に評価するのみならず、その人に対し憎しみや恐怖を抱くようになるだろう。(中略)しかし、そういう主観的な対応では相手に対する偏見が助長されるだけで、自分の言動、相手の言動、そして両者が置かれている状況に関する自覚や客観性が伴っているとはいえない。自分の心を落ち着かせ、勇気を持って状況を客観的に見ようと考えれば、まず相手と話し合ってみようと思うようになり、その結果、相手が自分に対して抱いていた誤解が解けたり、もしくは自分が気づいていなかった過ちを相手に指摘されたりして、それを直す機会が与えられることになる。(p112-113)

大人ですね。遠く及ばずながらも、見習いたいもの。すべては未来(未だ来らざるもの)のために。昨年5月にたまたまテレビ・ニュースで目にしたインタビュー、曰く「傲慢な人には分からない、これまでとは違った、新しい何か。」云々が、モザイコ/Stencil Painting にとってもモチーフ選択のきっかけでした。

民主主義というのも、じつは、そういうプロセスなんだなぁと今回、読んでいて思った次第。数の力とやらで何かを無理やりに実現する方法でなしに、もうちょっと弁証法的な、まだ見ぬ未来=未知にかたちを与えていくプロセス。情報社会の日本(だけでもないのかな)で、なんだか逆に、そういうプロセスやコミュニケーションが薄れつつあるように思えるのは気のせい?

彼女は国民に対し、軍事政権が暴力や策略で抑圧しようとしているからといって、民主主義を求める人々が同じように暴力や策略で抵抗したら、たとえ軍政を倒せても、その後に作られる新しい体制は望んでいた民主主義的な政府ではなく、困ったときには暴力や策略に頼れば良いという「伝統」を引き継ぐ非民主的な体制になってしまうと語る。(p106-107)

体質改善。「正しい目的は、それにふさわしい正しい手段を用いない限り達成できない」(p106)のだと。経済的なクローバル競争の中で、“どんな手を使ってでも目的(正しかろうが正しくなかろうが)達成” というような傲慢さの逆? ただし「アウンサンスーチーはけっして資本主義に対して反感を抱いている人間ではない」(p108)ええ、わかります。今年お正月の読書も思い出しながら。とにかく、試金石は「恐怖からの自由」(p103)だそうで。未知への恐怖、失うことへの恐怖、ものごとの裏表への恐怖だとか「もしかしたら自分だけが」という恐怖だとか……キリないですが。正義はどこへ行っちゃったんだろう最近?

アウンサンスーチーは「恐怖」こそ、あらゆる人々を堕落させ、社会を腐敗させていく根源であると断定し、人間はこの「恐怖」を克服して自ら自由になろうとしない限り、自分や自分の属する社会を改革することはできないと考える。(p103)

いろんな事情がありこそすれ。一筋縄でいかない歴史的経緯やら、いろいろ国際社会の動きまでとてもメモしきれませんけれども、この本、アウンサンスーチーにまつわるビルマ国民の課題や限界にも触れられていて、著者曰く「自力救済は意志の強い人にしかできない生き方でもある」(p135)と。また、「彼女が政権を運営するようになれば、ビルマではすべてが即座に良い方向に変わっていくと信じる『アウンサンスーチーお任せ』タイプのビルマ人は、国内外でけっこう見かける」(p117)とも。

たしかに。他人事じゃありませんな。でも、そこにこそアートやユーモアの出番ありと思えども端折って、とりあえず日々の暮らしのなかで、その肖像とともに憶えておきたい逸話を最後に。自分もこれで人一倍、恐がりな人間なだけに。ハァ。しかも恐怖のケタが違う。自宅軟禁に処せられる前の1989年4月のことだそうですが、以下(↓)。

演説会開催のために彼女が数人のNLDの党員たちと町の中を歩いていたとき、突然、前方から国軍の一個小隊によって進路を阻止され、今すぐにも発砲がなされる緊張した場面に遭遇した。そのとき彼女はほかの党員たちに道の端を歩かせ、自らは一人で道の真ん中を兵士たちの方へ向かって歩いた。他の党員が発砲の巻き添えにならないようにするための配慮である。すでに上官によって狙撃命令が出されていたにもかかわらず、兵士たちは一人で歩いてくる彼女を撃つことができなかった。(p105-106)

で、最初の引用にもどる。合掌。


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