2013年10月30日水曜日

黄金比はすべてを美しくするか?

黄金の golden、比 ratio ですから、何せ。名前がもう神々しい。ミステリアス。そこから誰もがマニアックに想像の翼を広げすぎてしまう部分を、たしなめることもじつに説得力をもって為されておりまして。ひさしぶりのハヤカワ文庫ノンフィクション《数理を愉しむ》シリーズ、マリオ・リヴィオ『黄金比はすべてを美しくするか?』。例えば、

文書に残っている黄金比の歴史は、パチョーリの本の出版より何世紀も前に、この比が芸術家にとくにあがめられていたという見方と合わない(p251)

このパチョーリという人、画家で数学者で修道士だったそうで。その本というのが、第一巻が1509年にヴェネツィアで刊行されたという『神聖な比例』。挿絵はレオナルド・ダヴィンチ。「その名前(書名)に神学的/哲学的な意味が込められていることも、黄金比を、ますます(中略)際立たせる結果になった。結局、パチョーリの本によって黄金比は、数学的になりすぎず、芸術家にも実際に使えるような理論で利用できるようになったのだ」(p213)と。

ポップ化、と言ってしまっていいのか? そこから誤解も含めて、とにかく出来上がってくる世界や現実もある。20世紀の建築家 ル・コルビュジエの様々なプロジェクトだとか、ダリのいくつかの絵だとか、あるいは映画だとか文学作品だとか、いろいろ。マニアック。

その勢いで、しかし、ピラミッドからルネサンス絵画から、古今の音楽から果てはモンドリアンの絵まで「じつは黄金比が」云々となっては、さすがにマニアックの度が過ぎると。まぁ、マニアというのは、そういうものなのかもしれないけど。想像的に何でも、ややこしく “深読み” しすぎる?……「なにか裏付ける文書がないのなら、芸術品や建築物の寸法は、黄金比が非常に複雑な解析をしないとわからないほど奥深くに埋め込まれているのでなく、文字どおり目に飛び込んでくるほどでなければならないだろう」(p86)と著者。たしかに。ゲームじゃあるまいし。


● ● ●


ひるがえって、科学。例えば、「プラトン立体をもとにしたケプラーの宇宙モデルは、完全に間違っていたばかりか、彼の時代にあってもいかれた代物だった。(中略)それでも、科学史におけるこのモデルの意義は、いくら強調してもやりすぎにはならない」(p231)と。なんとまぁ。そのココロは?

ケプラーは(中略)宇宙の「数学的モデル」を実際に考案したのである。(中略)まさしく「科学的手法」――観測された事実を自然のモデルで説明する体系的なアプローチ(p231) 
素粒子の存在とその基本的な相互作用を説明しようとする現代の物理学理論は、数学的対称性をもとにしているが、これは、ケプラーの理論が、プラトン立体の対称性をもとに惑星の数や性質を説明していたのによく似ている。(中略)どちらも本質的に「還元主義」に従い、少数の基本的な法則で多くの現象を説明しようとしているのだ。(p232)

我田引水するつもりは毛頭ないですが、ただ、この衝動だけは分かる。ホントそう思います。物事をできるだけ単純明快にしたい。けっしてその豊かさを損ねることなく!

外中比、正五角形、あるいはフィボナッチ数列と正方形、などなどの単純さ(見た目)とその数字/数学的な不思議さ。10進法そのものから検証しつつ。そして黄金比にまつわるそれらが、ミクロからマクロまで自然界の、つまり人間がソウゾウしたものでない、いろいろな形態をもダイナミックに解明してくれるとなれば。何はともあれ、対数らせんのGifアニメーション(↓)をとりあえず。

このアニメーションの元はこちら
動植物や天体などにも見られるというこの対数らせん、そこでは、なんと「サイズが増大しても形が変わらない(中略)。これを自己相似性という」(p184)。なので逆に、左のGifアニメーション、じつは拡大縮小しているのでなく単に回転しているだけ!

そもそもこの本、読み始めたきっかけが 11/18(土)の晩にチラッと見たNHK「オックスフォード白熱教室」でたまたま話されていた、J. ポロックの絵のフラクタル的なおもしろさ。なるほど目からウロコでした。以前のブログ記事でも何だろうと思っていた「豊かさ」の、ひとつの正体。

詩人ウィリアム・ブレイクの詠んだという一節「一粒の砂にも世界を見る」(p344)を、ぼんやり私的な想像力によってではなく、クリアにより一般的に示すことのできる科学のお見事さ。別な詩人イェイツによると「どんなタイプであれ、天才の究極の本質は、精確さにある」(p299)そうで。たしかに。


● ● ●


ちょっと脱線してしまいましたが、要するに、今に至るまで(というか今に至ってますます)自然界のいろんな事象を解明する際に、思わぬところで顔を出す不思議な「黄金比」を、一方で絶対化=神格化して、つい関係ないものにまで適用したくなるマニアックな心性と、もう一方でそれを正当に、あくまでテンポラリーな道具/モデルとして使っていこうという科学的な心性の、ふたつが世の中に存在する。として、前者をたしなめながら後者をより推奨していこうという本になるのかな、これ。たしかに、そのほうがクリエイティヴだと思う。何せ、

一般に存在が想定され、物理的現実の根底をなすと思われていた数学的世界が、唯一の存在ではない可能性(中略)。つまり、自然にかんして、現在手にしているのとはまったく違う説明が明らかに存在しうる(中略)。その意味でわれわれの知る数学は、宇宙のからくりを説明できるありとあらゆる単純な規則のうち、ほんの一部しかとらえていない(p383-384)

と。どこまでも謙虚。さきのケプラーの宇宙モデルじゃないですが(イカレててもOK)、黄金比を含む「数学」さえもが相対化されうるような、新たなモデルへの示唆が最後にあり。つまり「世界は、こういうもの」と高をくくるなかれ? そのためにも、単純明快化(モデル化/整理)できるところは、どんどんそうしていきながら、それでも失われることのない「豊かさ」を見極めて、それをより有効活用したり、作り出していくほうが、何かに曖昧にしばられているよりも、ずっといい。

ありがたいかぎり。ぼんやりしていた様々なものの関係がクリアに、よく分かりました。たまに(←たまにかよ)読書すると頭が整理されて自由になる、おぼえていられるかどうかは別として。絵描きとしての自然形態への関心のみならず、準結晶(p324)やら株価分析(p346)やらベンフォードの法則(p358)やら、驚きの連続。自然と人間、ホントに不思議です。

なぜだか黄金比は、単純さと複雑さが共存するところに、あるいはユークリッド幾何学とフラクタル幾何学が交わるところに、いつでも意外な登場を見せる。
黄金比の意外な登場がもたらす心地よさは、芸術作品から得られる視覚的な快感と、考えられるかぎり近いと思う。(p355)
ペンローズ・タイル(p314)元はこちら

さまざまな美術作品や楽曲や詩のなかに(本物や偽物の)黄金比を見つけ出そうとするのは、結局、理想の美の規範が存在し、それは実際の作品によって説明できるという思い込みがあるからだ。しかし歴史は、不朽の価値をもつ作品を生み出した芸術家が、そうした形式的なルールから脱却した人でもあることを明らかにしている(p310)!

ブログ内リンク:2013年10月30日現在《ハヤカワ文庫ノンフィクション》どれも本当におもしろいですから、よろしければ。アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』ジョージ・G・スピーロ『ポアンカレ予想』ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』デイヴィッド・ボダニス『E=mc2』

0 件のコメント:

コメントを投稿